M2016_2_No.49


高城山は丹波富士と呼ばれる秀峰であり、八上城攻防の戦われた古戦場跡である。今回の山行は城マニアの知人(T氏)に教えてもらったもので、その歴史を調べると大変な合戦が行われたことに驚く。この山は低山で、登山とも呼べないようなハイキングコースではあるが、中世の出来事を思いながら歩くと、なかなかに趣のある徘徊となった。

以下はネットから収集した八上城をめぐる歴史である。

 八上城(やかみじょう)は永正5年(1508年)波多野元清によって築かれたと云われる。その後、天正3年(1575年)より織田信長の部将明智光秀によって丹波攻略が始まる。当初波多野氏は明智光秀に味方していたが、天正4年(1576年)黒井城に攻め寄せた明智光秀に叛き、荻野氏と結んで丹波より追い落とした。 天正5年(1577年)明智光秀が再び丹波へ侵攻し籾井城を落とし、天正6年には八上城を厳重に包囲した。籠城戦は半年に及んだが遂に秀治以下兄弟三人が召し捕えられ落城した。
 この籠城戦では城内兵士500名が餓死したと言われる。この際、和議と偽り光秀の母を人質として城へ入れ、波多野兄弟が和議のため安土へ向かうという謀略にはまり、波多野兄弟は捕らえられ安土に送られ信長によって磔にされた、城内の兵は激怒し光秀の母を松の木に磔にし殺害したという。

T氏は、母が殺されることになった光秀が信長の所業に恨みを募らせ、本能寺の変に到ったと解釈してくれた。

 さて登山レポートだが、麓の春日神社登山口を731出発、807頂上の本丸跡に登り着いた。わずか36分の登山である。登山道はほぼ全体が擬木の階段で諸処に屋敷跡や番屋跡、陣地跡の説明板が設置されている。それらは山の斜面に平坦地が築かれた場所で、なるほど攻め上がるのは難しそうだと思える。堅城として十数回に及ぶ光秀の攻撃を防いだとされる所以であろう。

 本丸のあった頂上には巨大な石碑が屹立している。波多野秀治公を顕彰するもののようだ(昭和6年建立)。頂上にて小休憩し、下山にかかる。伝蔵屋敷跡まで降りた辺りで、ルートの方角が違うような気がしたため、再び頂上へ戻りルートを再確認。他に道がないようなので、その道を再び降りる。しばらく先で「野々垣コース、藤ノ木コース」の分岐標識があり、後者を選択する。842「はりつけ松跡」に出る。ここが明智光秀の母親が殺された場所である。「芥丸跡」からは階段を一気に下り915駐車場所に帰着した。

本コースのおすすめ度=2

歴史好き、城マニアにとっては興味深い場所であろう。登山としては低山に過ぎるので面白みに欠ける。出会った登山者はゼロ。

登山ルート

2016-No.49
兵庫県篠山市
総歩行距離=4.32Km
累積標高差=407m
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駐車場とトイレ情報

春日神社前に清潔なトイレがあり、そこに一台駐車可能(無料)。山中にトイレはない。

山頂ラーメン

カップラーメンを持参したが、時間が早過ぎたため食事をせずに下山。帰途、猪名川の中華料理店(珉王)にてタンメン(630円)を食した。最近のラーメン屋はギトギトでクドい味付けが多いが、この店は上品なスープで旨味があり大変好ましい。麺は細めだが柔らか過ぎず食べやすい一品であった。なお、珉王は川西、猪名川あたりに数店を出している会社らしい。
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